《川口秀幸story》

1990年 父親の転勤で静岡市から沼津市に転居
沼津市立大岡小学校で少年野球と出会い、小学5年から野球を始める。

1992年 大岡中学校に入学
大岡中学校でも野球を続け、主将もやりました。

1994年 岐阜県に転居
中学3年の時、父親がまた転勤となり岐阜県に移り住むこととなる。
小学生時代から野球をやっていた実績を認めてもらえて、高校は岐阜県の高校野球の名門である岐阜県立岐阜商業高校に推薦いただき、高校でも野球をすることになりました。

モンスターばかりの硬式野球部
頑張って追いつこうと頑張るものの、無理をしすぎて身体は満身創痍だったみたいです。
それでも、もっと頑張らないとという気持ちでやっていましたが、1学期の終わり頃、野球の練習中に半月板を損傷して病院に入院して手術。
ギブスをして1か月くらい運動は出来ない状態でした。


この時、自分よりも努力しているやつは大勢いて
努力しても手が届かないものがあるという事実を知った

そして右膝は治りましたが、再びモンスターのメンバー達と張り合おうという気持ちも無く、夏休みの頃には軟式野球部に転向しました。


小学生で野球を始めた時に、腰を痛めて鍼灸に通ったこともあり、
中学生の頃にはオーバーワークで肩と腰を痛めて、鍼を打ったり電気治療を受けたりもした。
そんな頃から整体や鍼灸にはお世話になっていたので、整体の先生にはいつも感謝していました。

高校1年の時には、頑張って練習しながらも腰痛で接骨院に通院。
接骨院の先生からは、身体の使い方やメンテナンスのやり方について注意を受けていたものの実際の生活や練習時には忘れてしまっていました。

大学では経営を学ぶ。
大学卒業後、数年間はアウトロー的な生活をしていました。
(※真相はお店で聞いてくださいね^^)

<つづく>